体験談

■ライフスタイルが変わりました

里恵さん・楓子ちゃん(4月27日誕生)

■都市での生活
坂内里恵さんは、第一子の楓子ちゃん(6歳)をあゆみ助産院で出産しました。現在、京都府・南山城村で無農薬野菜を作っている坂内さん一家は、妊娠と出産を通して、ライフスタイルに大きな変化をもたらしたと言います。
里恵さんと夫、謙太郎さんの出会いは北海道の大学でした。卒業後、東京で再開し交際が始まりました。その後、謙太郎さんの就職が大阪に決まり、里恵さんも京都へ引っ越し、2人は2003年に結婚しました。
当時、2人は、長岡京市に住んでいました。その頃、今とは程遠い生活をしていたと言います。サラリーマンだった謙太郎さんは、毎日時間に追われるハードな生活、里恵さんは、大学で学んだ都市環境のことを深めるために、大学院で学び、不規則で、暴飲暴食の毎日。卒業後就職活動をしているときに楓子ちゃんがお腹にいることがわかりました。「本当にびっくりした」と里恵さんは当時を振り返ります。

■身体との対話
妊娠がわかった里恵さんは、近くの産婦人科医院へ初めて診察に行ったのですが、とても違和感を感じたのです。そこで2人は、大学の先輩が助産院でお産をしたと聞き、インターネットで検索をしたところ、あゆみ助産院が最初に出てきたのです。これが助産院とのご縁の始まりです。「お産についての知識がまったくなく、助産院と産婦人科医院の区別もつかなかった」と2人は笑顔で話してくれました。
当時、里恵さんは自分の身体と対話ができていなかったので、身体の状態がわかっていませんでした。毎回の検診はいつも緊張していたと言います。左古さんからは、貧血やむくみのことなどを、厳しく指導されていました。出産後、自分のお産を通して、左古さんから言われていた意味もわかり、自分の身体とも向き合えるようになりました。そして、助産院の良さが十分理解できたのも産後でした。

■お産と記憶
楓子ちゃんのお産は、前々日の夜の陣痛から始まりました。助産院へは一度来ましたが、お産は進まず2人で1泊し、朝ごはんを済ませ、謙太郎さんは出勤し、里恵さんは自宅へ帰りました。翌日の午後、再び陣痛が始まり助産院へ1人で行きました。到着後、左古さんの顔を見て、里恵さんは思わず泣いてしまったそうです。連絡を受けた、謙太郎さんは職場から駆けつけました。その日の夜7時頃、楓子ちゃんは元気な産声をあげたのです。臍の緒は謙太郎さんが切ってくれました。出血量が多く大変なお産でしたが、痛みに強く、頑張りやさんの里恵さんだから乗り越えられたと左古さんは言います。
里恵さんは楓子ちゃんにおっぱいをあげている時、汗とおっぱい、そして赤ちゃんの匂いで自分が赤ちゃんだった時のことを思い出しました。生まれてきたばかりの、まだ言葉がなく、自分と周りの区別もない、感覚だけの世界です。ピンクや黄色、温かくて甘い香りの光の中にふわふわと漂っている、幸せそのものの感覚は、娘、楓子ちゃんからの贈り物だと、里恵さんは話してくれました。
第二子葉君(2歳)は、助産院がお産を扱わなくなっていたこともあり、助産院わ(あゆみ通信63号掲載)で、2011年4月5日、謙太郎さんと楓子ちゃんが立合いの下、3時間で葉君は元気よく産声をあげました。現在、里恵さんはお産をした、助産院わの母の会(わははの会)のスタッフを務めています。

■田舎暮らし
2011年12月、謙太郎さんが体調を壊し、会社を退職。以前から田舎に住みたいと考えていた2人は、標高500メートル南山城村の童仙房に親子4人で住んでいます。畑を借りて、ハト畑という屋号で無農薬の野菜を作っています。主な作物はトマト。「贅沢だと思う」と里恵さん。それは、「田舎暮らしを楽しみながら、こうして町へも車で直ぐに行くことができるから」だと、2人は顔を見合わせながら話してくれました。

あゆみ助産院

〒612-0082
京都市伏見区深草山村町999-2
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