体験談

■家族で迎えられて嬉しかった

麻子さん・雅之さん(6月15日第2子誕生)

九年ぶりの妊娠がわかり、今度は病院ではなく助産院で産みたい、と思った山本麻子さん。妊娠に気付くのが遅れ、あゆみ助産院を訪れたのは、すでに妊娠六か月の時だった。「こちらで分娩させてもらうには、とても高いハードルを越えなければなりませんでした。自分で言うのも変ですが、ものすごく努力しました」と苦笑いする麻子さん。
助産院での分娩は、健康な身体でなければ難しく、受け入れる人数は限られている。そんな状況の中、麻子さんの希望はかなり無謀だったかもしれない。でも、彼女の意志は強かった。助産婦の池田さんの指導のもと、食生活を改善し、助産院で産める身体づくりから始めた。勧められたリブレフラワー(玄米の粉)を飲み、小麦粉製品、甘いものやフルーツをやめ、ヨーガ教室に通い、早く寝るように努めた。
二週間で身体の変化を自覚でき、日を追うごとに元気になっていった。お通じが良くなり、朝の目覚めがよくなってきた。当時、小学二年生の蒼一郎君が通う学校とのトラブルがあり、精神状態は最悪の状態だった。麻子さんにとって、この食生活の改善に救われたという。同じものを食べていた蒼一郎君にも変化が表れ、とても穏やかになり優しくなった。
 
どんどん、体調が良くなり、とても毎日が充実していったが、どうしても貧血の問題は解消できず、ヘモグロビンの数値は低く上がらない。このままでは分娩の許可がおりない。最後は滋養鉄を服用して、ようやく佐古さんから「一緒にがんばりましょう」と言ってもらえたという。
その後、ヨーガでお腹の筋肉を引き締め、逆子を元に戻す体操をして改善させた。「私ってスゴイ!と思いました。もう嬉しくてたまりせんでした」。これまでの努力は、麻子さんの大きな自信なった。
後はお産する日を楽しみに待つだけ。最後の検診におしるしがあった。産まれるの?と気をもむが何の変化もなく、予定日の十二日を迎えたが、不規則にお腹が張りだした。それは、前駆陣痛と言われ、自宅で待機する。蒼一郎君の時は、破水からお産が始まったので勝手が違う。初めての体験に、心もとない気持ちで落ち着かない日々を過ごす。
 
十四日の夕方四時頃、十分おきの陣痛が始まる。今度は本物だ、と確信して夕食を済ませてから行こうと決めた。その間にどんどん進み、七分間隔になり、「タクシーの中で産まれたら、どうしよう…」と不安になりながら助産院に到着。そのとたん十分間隔の陣痛に戻った。「しばらく、旅館での静養感覚で楽しく過ごそう」と気持ちを切り替えた麻子さんは、シャワーを浴び、お気に入りのCDを聴き、池田さんとお喋りに花を咲かせていた。
夜の十一時頃、蒼一郎君から電話が入った。お産に立ち会いたくない、と言っていた蒼一郎君だが、「来たい」と言い出した。電話の向こうで「え〜行くの〜?」と血を見るのが怖い夫の雅之さんの声が聞こえたが、しばらくして二人が到着。一人で産む覚悟を決め、「来なくていいよ」と強がっていた麻子さんだが、本音は二人に来てほしかった。

陣痛は痛いが、その都度、進行状況を知らせてもらえるので安心できた。雅之さんに後ろから支えてもらい、麻子さんは出てきた赤ちゃんの頭に触れることができた。でこぼこした感触は、今でもはっきり覚えているという。そして、響生(ひびき)君が誕生。へその緒は蒼一郎君が切った。「蒼一郎は度胸があるな〜」と感心したという雅之さん。麻子さんは「思いがけず、家族でお産を迎えることができて、とても嬉しかった」と静かに感動していた。


あゆみ助産院

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