■シャンパンの栓が弾けた感じのお産でした
「塙家らしいお産でした。それは、明るく、和やかで家族で力を合わせた感じです。そして、シャンパンを振って、栓がパ〜ンと弾け中身があふれてきたような感じでした」と、貴子さんは生まれたばかりの、第2子となる朔空くんを見つめながら、話してくれました。
貴子さんとあゆみ助産院の出会いは、第1子陸君(3歳3ヶ月)の妊娠7ヶ月の時でした。夫、茂樹さんの転勤で、山梨から姫路に引越すことになり、出産する病院を探すことになりました。偶然、友人のお母さんが助産婦で、左古さんと知り合いであったことから「健康で状態が良かったら、助産院はどう?」と紹介されたことがきっかけです。
陸君の妊娠の時に貧血とむくみの経験があったので、今回は妊娠前から食事にも気を配っていたので、体調は万全でした。でも、妊娠7ヶ月で貧血。鉄剤と滋養鉄を飲むことで、臨月には数値も上がり、完璧な状態になっていました。後は、出産の日を楽しみに待つばかりでした。
貴子さんは、毎回の妊婦健診には、姫路から片道2時間、自分自身で車を運転し、助産院へ通っていました。予定日の3月23日も、40週の健診のため、自分で運転しやって来ました。その日はいつ陣痛が始まるかわからないので、貴子さんの実家の城陽に泊まることを。茂樹さんが勧めてくれました。結局、陣痛の兆しもないまま、41週の健診へ。その日は、茂樹さんも一緒だったこともあり、姫路の自宅へ帰ることにしました。
さすがに、今回の妊娠ライフは、完璧と思っていた貴子さんでしたが、41週目も過ぎ42週を目前にし、いっこうにお産の兆しのないことへの不安な気持ちで、眠れない日が数日続きました。
健診日の前日、左古さんに電話で悩みを相談したところ「あゆみでの最長は、45週と3日よ」との、明るい声に励まされ、安心感を覚えました。そして、そのことを茂樹さんに伝えると「最長記録をぬりかえよう」と、心和む言葉をかけられ、不安な気持ちは吹っ切れ、その夜はぐっすり眠ることができました。
42週の健診の翌日は、嘱託医の平井医院へ行くことになっていました。翌朝、待っていたおしるしがありました。一旦、予定通り平井医院へ行くと、左古さんの笑顔が待っていてくれました。健診の結果、赤ちゃんは順調で陣痛も始まっていたこともあり、助産院へ入院することになりました。
それから誕生までは、ジェットコースターに乗っているように、どんどん陣痛も進みました。午後4時頃、10分間隔の陣痛を楽しみ。8時頃、シャワーとヨガでリラックス。9時頃には5分間隔となり、茂樹さん、陸君、そして姉の直子さんたちの応援団に連絡。45分には、応援団も到着し、安心感からか、一気に強い陣痛の波が押し寄せてきました。
そして10時16分、あれよあれよと言う間に、第2子朔空君が誕生。バースプランでは「自分で赤ちゃんをとりあげること」となっていましたが、強い陣痛の波に負け、思いを叶えることができませんでした。
陸君は本当に朔空君の誕生を楽しみにしていました。自分が生まれてきた日のことも、毎夜貴子さんに聞き、朔空君誕生の様子を一つひとつ宝物を見るように見つめていました。
茂樹さんは、陸君の出産で、貴子さんからプレゼントされた手編みのセーターを特別な思いで着て、立ち合いました。でも「ちくちくして、肌触りが嫌だった」の貴子さんの一言で、今回は綿100%の服を着て、側に寄り添い立ち合いました。
(英)